|
■300ページに及ぶ告発書を執筆
検察の横暴が最近、相次いで暴露されようとしている。
その典型例が、いわゆる検察の「国策捜査」を世に知らしめることになった外務官僚・佐藤優の逮捕だった。冤罪の他に国策捜査での逮捕があることがわかった。
島根県松江市で公認会計士事務所を経営する山根治(65歳)は'93年、広島国税局の査察を受け、その後'96年には検察に逮捕され、291日間、松江刑務所に勾留された。
容疑はこうだ。島根県益田市畜産協同組合所有の土地が、石見空港建設のために県に収用されることになり、組合に42億6千万円の移転保償金が入った。組合は山根の提案と仲介によって、節税のため、千葉県の不動産を購入した。山根らは税金の繰延の手続きを取っていたが、広島国税局は「脱税」として査察に入った。
国税当局は、法人部門で'93年全国トップの悪質な所得隠しだ、とマスコミに向けて紹介していた。
だが本件は'03年10月4日、最高裁の上告棄却によって無罪が確定した。だが、別件(公正証書原本不実記載)については有罪とされ、懲役1年6月執行猶予3年の有罪が確定した。検察は広島国税局が告発してきた本件が無罪になることを恐れて(予想して)、事前に別件を用意し、有罪にこだわったのだ。
そのため、山根は執行猶予期間の3年間、公認会計士の登録が抹消されてしまう。しかし、泣き寝入りするようなことはなかった。自分が受けた「冤罪」について、300ページに及ぶ告発書『冤罪を創る人々―国家暴力の現場から』を、自分のブログで'04年3月に公表するのである。
『冤罪を創る人々』では、国家の暴力が、山根本人、その家族、そして事務所をいかに襲ったか。
☆………☆………☆
〈広島国税局調査査察部(マルサ)による強制捜査、日記などを元に再現〉
'93年9月28日、朝8時20分、私は下着姿でキッチンテーブルに向かい、K・Aの件に関する書類を作成していた。
玄関のチャイムが鳴った。
「広島国税局です」
「何の用か?」
「とにかく玄関を開けて下さい」
(令状を)読む。カメラのフラッシュが光る。益田市畜産協同組合の千葉の不動産に係る税務処理を脱税と早とちりしているようだ。
完全な誤解であることは明白であるが、広島地方裁判所が臨検捜索差押許可状を発行しているので、止むをえない。血の気が引き、足がふるえる。
〈検察―暴力装置の実態〉
'96年1月26日の早朝、私の前に突然逮捕状を持って現われた検察は、私が漠然と描いていた以上のような検察(巨悪に敢然と立ち向かう正義の砦としての)とは、似ても似つかないものであった。暴力団そのものが、ヌッと現れた感じだった。
しかも、マルサが日本刀を振り回すチンピラ集団であるとするならば、検察はさしずめ、実弾入りのピストルをつきつけてきた広域暴力団であった。
マルサは強制調査をし、検察に告発するだけの権限しかないのに対して、検察はその上に、逮捕し刑事法廷に引きずり出し、断罪する権限を持っているからである。
■傍聴席を見ることも許されず
〈逮捕当日―別件逮捕―〉
'96年同月同日、朝6時50分、自宅のチャイムが鳴った。私は寝ているところを起こされた。
中島行博検事が、逮捕状を携えてやってきた。
(検事の了解を得て風呂へ)風呂を出て朝メシを食う。証拠隠滅を疑われても癪であるし、食事を妻に応接間まで運ばせて、検事たちの目の前で食べた。逮捕されたら当分自宅のみそ汁が飲めなくなると思い、みそ汁のおかわりをする。味がなかった。
〈松江刑務所〉
'96年1月26日、午後2時20分、松江刑務所に着いた。一枚の身柄領収書と引きかえに、私の身柄は松江刑務所拘置監の管理下に。
2人の刑務官がおり、検査のために丸裸にさせられた。股を広げて後ろ向きになり、ケツの穴までのぞき込まれた。
〈拘置理由開示の裁判〉
'96年2月2日、午後1時40分開廷。
看守は、私に傍聴席に振り向くことを許さなかった。退廷するとき、中村弁護人が看守に「皆さんに会釈することを許してあげて下さい」と口添えしてくれたものの、わずかの時間しか振り向くことができなかった。
振り向いて会釈した瞬間、高庭敏夫会計士、U鑑定士、岩本久人氏、M建築士、妻、次男の学、Y先生の姿だけが確認できた。
「頑張って、がんばって!」
口々に声が飛んだ。私の両目に涙があふれ、視界がかすんだ。それぞれの人たちの思いが私にストレートに伝わってきた。帰りの移送車の中でも涙が止まることはなかった。
〈起訴〉
'96年3月8日、朝9時頃、風呂に入っていたら家族の面会を告げられ、途中で風呂を出る。
「妻と2人の息子に会った途端に両目から涙があふれた。長男に他の人と会うときは、泣かない方がよいとクールに諭されてしまった。外は、私が考えている以上にしっかりしているようだ。
このところ私の感情は激動の状態だ。精神病理学では、このような状態をどのように説明するであろうか」
2人の息子は大学を卒業し、横浜と東京を生活の拠点として暮らしていた。私が逮捕されるという不測の事態に直面した2人は、直ちにそれぞれの生活を切りあげて松江に帰ってきた。妻と事務所をサポートするためであった。
〈論告求刑〉
捏造による断罪が更にエスカレートするのは、立石英生(検事)が作成した論告要旨である。
まさに信じ難いことが、検事という国家権力の名のもとに行われたわけであり、ここで断罪すべきは私ではなく、数多くの証拠を捏造してまで私を冤罪に陥れようとした立石英生ではないか。
■「再起などと考えず観念せよ」
〈供述調書として残された尋問と応答〉
'96年1月31日、午後3時。取調べの冒頭、私は中島行博に向かって厳重な抗議を申し入れた。
山根「あなたは検察の代表として職務上私に接しているわけであるから、あなたを通じて検察に文句を言っているんだ。いいかげんなことをマスコミに流さないようにして欲しい。
逮捕された上に、あることないこと書きたてられたらオレの信用がますます地に落ちて、地元で仕事をすることができなくなってしまう」
中島「信用が落ちる? 地元で仕事をしていく? 山根はそんな寝ぼけたことを考えているのか。大体、検察が乗り出して逮捕までした場合、まずはそれで立件する、立件したら日本の場合、有罪率は99・87%だ。
あるいは有罪であろうと無罪であろうと、逮捕されたらそれだけでまずその連中の社会的生命は抹殺される。ことにあんたのような会計士の場合、信用で成り立っているわけだから、再起したケースはないんじゃないか。山根も夢のようなことなど考えていないで、いいかげんに観念したらどうか」
〈勾留の日々〉
房内備え付けの2つの冊子の中身。
願せん=願い出をするときに使用する用紙のこと。
自弁=差し入れを受けた物。
拭身=身体をタオルなどで拭くこと。
領置=被収容者の金品を監獄法に基づき、施設において強制的に保管。
宅下=領置している物品を許可を得て外部の特定の人に対して郵送又は施設において交付すること。
情願=自分に対する施設の処置について、法務大臣及び巡閲官に対して書面又は口頭で不服申立てをすること。
〈前科者としての元公認会計士〉
執筆を終えようとしている今、ふっと顧みると、それらの感情(マルサと検察に対する恨みと憎しみ)がほとんど消滅していることに気がついた。完全に払拭されることはないだろうが、少なくとも気にならなくなったのである。
閭丘胤(森鴎外の「寒山拾得」に出てくる頭痛に悩まされる官吏)の頭痛が幻と共に消え去ったように、私の中にあった憎悪の幻が消え去った。
☆………☆………☆
執行猶予は'06年10月4日に明けた。『冤罪を創る人々』の執筆には1日平均5時間、3か月かかったという。
佐藤優といい、山根治といい、検察はとんでもない人を逮捕してしまった。
|