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■部屋を無言でうろつき始める
「因果関係がはっきりしないまま、行政やメーカーだけでタミフルの注意喚起をしたり、医師の処方を禁止することはできない」
４月４日、東京・半蔵門のホテルで開かれた厚労省の薬事食品衛生審議会・安全対策調査会。その席上、国の薬務行政の事実上のトップである同省の高橋直人医薬食品局長はこう語った。
今年２月、愛知県の女子中学生が、突然、自宅の10階マンションのベランダから転落死するという痛ましい事故があった。死亡する前日に風邪の症状を訴えた少女に、医師が処方した薬が、抗インフルエンザ薬「タミフル」だ。
こうしたタミフル絡みの異常死事件は、過去にも頻発している。10歳代がとくに多く、厚労省は３月20日、10歳代の未成年者に対するタミフルの処方を原則禁止することを発表、合わせて医療機関やタミフル輸入販売元の中外製薬から上がってきた副作用報告を分析し、対策を検討するとした。
しかし、冒頭の安全対策調査会で精神科医や小児科医など、専門家を交えて討議した結果は、「10歳代のみ原則禁止とする厚労省の判断は妥当」というものだった。たしかに、インフルエンザに罹ると、幻覚や異常行動を起こすことはある。しかし、これだけ被害が広がってしまった今、「因果関係不明」のひと言で、うやむやにできる問題ではない。また、発表されている以外にも「隠れた異常行動」がある可能性もある。
看護師のA子さんの小学２年生の息子は、厚労省から「注意報」が出る直前にインフルエンザB型にかかった。
病院に行ったＡ子さんは医師に、「私は仕事があるので、タミフルで早く熱を下げたい」と伝え、医師からは、「２日間は目を離さないで」といわれた。異変があったのは、２回目を飲ませてしばらく経った夜中のことだ。
異常行動が心配だったA子さんは、息子の隣で起きていた。息子はいきなり立ち上がり、焦点の定まらない目をしながら、部屋中を無言のままうろつき始めた。A子さんが力ずくで布団の上に座らせると、息子は両手を頭に押し当てて、何度もぐるぐる回し続けた。怖くなったA子さんは救急車で大きな病院に連れて行った。点滴をして帰宅したが、息子は吐き続けた。翌日の再診時、医師は「救急車で来たこと覚えてる？」と聞いた。息子は「うん」と答えると、「じゃあ異常行動ではなかったね」と医師は安心した様子だった。
「でも息子は『本当は覚えていなかった』というのです。異常行動に対する恐怖心から本当のことがいえない子どももたくさんいるんじゃないかしら」（A子さん）
■“クスリ漬け国家日本”で拡販
成分名を「リン酸オセルタミビル」というタミフルは、インフルエンザウイルスの増殖過程を抑えるノイラミニダーゼ阻害剤と呼ばれる抗ウイルス薬である。米国カリフォルニア州にあるギリアド・サイエンシズ社が開発したもので、中外製薬の親会社であるスイスの大手製薬企業ホフマン・ラ・ロシュが全世界での販売権を獲得した。
'99年に販売が開始され、日本では世界に遅れること約２年、'01年２月に発売された。新型インフルエンザ「Ｈ５Ｎ１型」に対する特効薬として期待される医薬品であることも、よく知られている。'04年には、インフルエンザの治療薬としてだけでなく、予防薬としての効能・効果も認められた。
こうした経緯や知名度から、タミフルがいかにも売れ筋の医薬品だと思われがちだが、売れ行きが伸びたのはここ数年の話だ。'99年の発売当初は低迷していた。もともと、抗インフルエンザ薬という、流行状況によって売上げはがらりと変わる製品である。業績が上向きはじめたのは、新型インフルエンザに対する世界的な危機感が高まり、その切り札として、にわかにタミフルが脚光を浴びてからだ。
'05年６月、タミフル開発元のギリアド社は、「ロシュ社が販売に積極的でなかったために、本来得られるはずの収益をあげていない」などとして、ロシュ社に対し、販売権供与の契約解消を迫っている。要するに、「もっと本腰を入れて売ってくれないなら、他の製薬会社にタミフルの権利を回す」という脅しである。
ギリアド社の主張はこうだ。
「ロシュ社は、タミフルが販売されている各国でのマーケティング活動を怠った上に、生産トラブルを起こして供給不足を招くなど、販売戦略に誤りがあった。その上、売上高に応じて当社に支払われるはずの権利金を、実際より少なく見積もっていた」
ギリアド社は、ラムズフェルド氏が国防長官としてブッシュ政権入りする'91年まで会長を務めていた会社だ。
タミフルの全世界での売上高は、'06年で26億スイスフラン。日本円にして２千500億円超に上る。うち日本では380億円程度だ。十分に稼ぎ出しているように感じるかもしれないが、医薬品の世界では１千億円の大台を超えなければ“ドル箱”とはいえない。なにしろ、世界でもっとも売れている医薬品は１兆円を軽く超えている業界だ。
まして、タミフルは高い知名度を誇り、日本をはじめ各国政府が新型インフルエンザ対策として国家的な備蓄を進めている。海外では一般的に、インフルエンザの治療では、もともと体力の弱い高齢者など、よほどのことがない限りタミフルは処方しない。従って、日本以外のタミフルの売上高は、実際に医療現場で使われたわけではなく、各国政府による買い上げが大半だ。
しかし、世界消費量の実に80％弱を消費しているといわれる日本の実態は、欧米などとはかけ離れている。インフルエンザの検査キットが普及したこともあり、日本では、医療機関でインフルエンザの診断が出れば、即、タミフルが処方される。'99年の発売以来、タミフルの累計消費量は全世界で推計４千500万人分。'01年発売と出足の遅れにもかかわらず、そのうち、３千500万人分が、日本で使われているのだ。
いかに日本人が薬に頼っているか。ギリアド社の突き上げを受けたロシュ社が、まず日本での拡販を思いつくのはあり得る話だ。ギリアド社の高圧的な要求に対し、当初は反発していたロシュ社だったが、その後、態度を軟化し、'05年11月、タミフルに関する契約を結び直すことで合意した。その際、ロシュ社は約74億円に上る和解金を、ギリアド社に支払っている。
■研究者に６千万円の「寄付金」
ロシュ社にとって、国家備蓄の買い上げ以外にタミフルの売上げを伸ばすには、“クスリ漬け”の日本以外に潜在市場は残っていなかったのではないか。こうした背景から、親会社の方針に従い、中外製薬が異常行動などの副作用の危険性を売り上げ拡大のために黙殺したという疑念は、説得力を持つ。
中外製薬は、「タミフルのプロモーション活動は一切やっていない。（異常行動などの）副作用報告も、薬事法に則って、これまでずっと、厚労省に送ってきた」（広報・ＩＲ部）という。しかし、タミフルの添付文書に、異常行動の４文字が書き加えられたのが'04年４月。その後も中外製薬は、異常行動の危険性を医師や患者に積極的に情報発信するという“プロモーション活動”も、「因果関係不明」を理由に行っていない。いわば、都合の悪いことには口をつぐむという「不作為」によってタミフルのシェア拡大を目論み、その結果、少年少女らの異常死という副作用被害を助長したとはいえないか。
一方タミフルは、将来、世界を席巻するかもしれない新型インフルエンザを迎え撃つための事実上の「切り札」でもある。今のところ、ウイルスが体内に侵入し、増殖するところで抑え込む以外に、有効な治療はない。タミフル自体には、確かな存在価値がある。
しかし、すでにタミフル耐性ウイルスの出現を報告する研究結果も出ている。このままタミフルの安易な使用を許すことで、新型インフルエンザ発生という「本番」で、タミフルが効き目を示さないという危険性も現実のことになりつつある。そうした事情を知らない患者に、安易にタミフルを処方する医師、またそうした医師を野放しにする厚労省の責任は重い。
中外製薬は、タミフルの副作用問題やその安全性を調査する立場にいた研究者に対し、「寄付金」の名目で多額の金銭を提供していたことも発覚した。文部科学省系の統計数理研究所の藤田利治教授には、６千万円という常識的に考えられない金額を支払っていたことが明らかになっている。
医師、行政、そして製薬企業。タミフルの副作用そのものより、薬を取り巻く関係者の怠慢やエゴこそ問題だ。
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